古都保存法で丘陵地の造成ができない侍の都・鎌倉には白眉と言える時代の遺跡を今も見分することができますわぁ。
 殊、釈迦堂ヶやつに見られる北条時政邸址の大手門遺跡は圧巻ですわなっ。
 油圧ショベルや削岩機の無かった時代によくもこれだけの工事を遂げたものだと感心させられますが、前九年の役に臨み源頼義が材木座海岸近くに建立した石清水八幡宮の分祀を幕府創業に因み改めて鶴ヶ岡へ遷座させ壮大な社殿を造営するに当たり、幕府は境内から鎌倉を貫く滑川の河口まで正南北一直線に延びる若宮大路をも造作しましたが、その時北条時政は自らもっこを担いで大路の普請に加わったと伝えます。
 鎌倉幕府滅亡後に書かれた『太平記』は北条時政が伊豆国衙に出入りする在庁官人だったとしていますが、時政の故地たる伊豆・韮山盆地を囲む丘陵の一角にも慥か採石場を見たような気がして、北条のルーツが何か岩盤掘削の事業と関わりが有ったものかと思わせるものを感じます。